ホーム 『日本全国もっと津々うりゃうりゃ』宮田珠己 第3回 長崎──3. 軍艦島で滅亡気分 Page 3

ツアーガイドの女性が、かつての島の暮らしについて、いろいろと説明してくれた。

炭鉱そのものは島にあるわけではなく、島から3キロ離れた海の底にあったこと。坑内に入る際は、リフトで真っ暗な中を600メートルの地下まで下るため、恐怖でオシッコをチビった者もあったこと。仕事を終えた坑夫たちが服のまま入って汚れを落とす、専用の風呂があり、いつも汚れで真っ黒だったこと。資料が残っているだけでも、ここで215人が事故で亡くなったこと。炭鉱はどこもそうだが、劣悪な環境であった。

炭鉱の仕事もきつかったが、地上で待つ家族の生活も大変だった。

なにしろ狭い島に5000人以上が住んでいた。住居は上へ上へと増築され、小学校の上には中学校、そのうえに保育所が積み重ねられた。あまりに建物が密集していたために、下のほうの階にはほとんど日が射さず、昼間でも電灯をつけていたらしい。そのほか、海底水道が敷設されていなかった当初は、貴重な水を節約するため、トイレも風呂も炊事場も各階ごとに共同だったそうだ。

で、娯楽施設といえば、映画館がひとつとパチンコ屋、ビリヤード場、それに飲み屋が2軒あっただけ。ずいぶんストレスが溜まりそうだ。

「デートのときはどうしたんでしょう?」

「堤防の上とか、資材置き場でデートしたそうです」

でも高い建物ばかりなので、上から見つかって、からかわれるのらしい。そういうことになると、それ以上のデートは、どうなるのだろうか。つまり、その先にある真のデートは、いったいどこで行なわれるのか。大変気になる問題だったが、ツアーガイドが女性だったので、根掘り葉掘り聞けなかった。

だが、島民の生活は決して暗いものではなかったという。

子どもは屋上でも通路でもそこらじゅうで遊んだこと、犯罪がなかったこと、春と夏の祭りは島民総出で盛り上がったことなどなど、いろんな話を聞いていくうちに、私はなんともふしぎな気持ちになっていった。

軍艦島に来るまで、そこは廃墟の島であり、見どころはまさしくその廃墟っぷりであって、不気味な建物や、迷宮のような錯綜した風景を見て、暗澹たる気持ちになるべくやってきたのである。ところが、こうしてここに実際に住んでいた島民のわれわれと変わらない明るい生活ぶりを耳にすると、軍艦島における多くの人々の人生というものがリアルに脳裏に浮かび上がってきて、よりいっそう暗澹あんたんたる気持ちになった。

軍艦島風景
軍艦島風景

滅亡。

言葉にすれば、そういう印象だった。

ここで、ひとつの生態系が滅亡した。

実際は、事故で亡くなった坑夫を除き、ほとんどの人々は生きて島の外へ散っていったわけで、滅亡なんかしていないわけだけど、残虐なナチスドイツ軍の襲撃を受けて、人々が狭い島のなかを逃げ惑う姿とかを想像し、勝手に身震いした。あるいは恐ろしいペストが蔓延したのかもしれないし、突如火山が噴火して火砕流に飲み込まれたのかもしれないし、プレデターにひとりひとり殺されていったのかもしれない。いずれにしてもここに住む人々は、もう全滅してひとりも残っていない。そんなイメージが次々湧いてきて仕方がなかった。

「恐るべし、コロニー全滅……」

これこそが廃墟の凄みというものだ。

「全滅してません。みんな引越したんですよ」

「これを見る限り、そうとは思えない。きっと全滅したんです」

「勝手に殺さないでください」

そうして胸いっぱいになった私は、またぐらんぐらん揺れる船に乗って、長崎港に帰った。へろへろになりながらもなんとか無事生還し、ああ疲れた、めしでも食うか……と思ったら、突然テレメンテイコ女史が胸をかきむしるように暴れだしたのである。えええっ、いったいどうしたんですか、と駆け寄ると、次の瞬間、胸からドバッと血が噴き出して、中からギョエエー! と叫び声をあげながら、エイリアンの幼虫がああああ!

って、ある程度予想はしていたが、現実の軍艦島は予想を超えていた。想定以上の暗澹に、大満足だったのである。

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